人類が滅びた後の世界。
みんな死んでいる世界。
もう誰も死なない世界。
動くのはただただ、死者ばかり。
『永き後日談のネクロニカ』で主人公は、
そんな世界でココロを持ってしまった少女――ドールたち。
平たく言えば少女ゾンビになって、他のゾンビと戦うゲーム。
死者たちを動かすのは、滅んだ世界の支配者たるネクロマンサー。
ゲームの中の最終ボスであると同時に、ゲームの進行役も示します。
なんといっても、ドールにココロを与えたのはネクロマンサーなのですから。
操り人形ばかりの世界、己の意志持つドールは、何よりの玩具。
敵を差し向けたり、ちょっとした悲劇喜劇を演出するのが楽しみというもの。
ドールたちは死んでいる以上、壊れはしても死にはしません。
もうとっくに死んでいるし、世界もとっくに終わっています。
ご用意するは10面体のサイコロ1つ。
そんなわけで鉛色の空の下、お茶でもしながらひとつ、長い――永い後日談を語ってみようじゃありませんか。
■後日談の世界
人間の世界はすっかり終わった。
人類は技術を歪に進めた。
ナノマシン技術。
“自我”の存在が確立。
生体コンピューターの作成。
原型を留めぬほどの遺伝子操作。
それらは当然ながら軍事にも次々と転用され……。
こうした技術の集大成が、おぞましい技術系統となった。
それがネクロマンシー。
死者を動かす技術。
誰も死なない戦争をするための技術だ。
その兵士たちはもう死なない。
最初から死んでいるのだから。
もっとも、戦争が拡大すれば火力は過剰化していく。
動く死者……アンデッドらも補強され、増員される。
時には生者から徴兵すらされながら……。
死者たちが淡々と殺し合う中、人類は何も戦火を広げ続け。
資源不足に喘ぎながら、さらなる紛争を繰り返す。
やがて、アンデッドの代理戦争には飽き足らず、大規模な兵器が次々と投入。
巨大昆虫兵器や植物兵器などの悪夢の産物も徘徊する中。
人類は自ら世界を炎に包み、滅んだ。
鉛色の空、荒れ果てた大地、汚染された海。
滅んだ世界に残るのは死者たちと、わずかに生き残った生命。
戦争も世界も終わった後も、死者たちは動き続けている。
そして、彼らを作り出す存在も……少なからず、生き残った。
ネクロマンシーの使い手ども。
ネクロマンサーこそが、この終った世界の支配者だ。
■踊る少女
そんな世界で、キミたちも動く死体となる。
それはただの死体ではない。
少女の死体だ。
朽ちることない少女の死体、あるいは朽ちかけたまま止まった死体。
ネクロマンサーにドールと呼ばれる、お気に入りの人形たちだ。
ドール。
しかし、それは動くだけのお人形ではない。
彼女たちには、死んだ体にふさわしからぬ、生きた“こころ”がある。
キミは、その判断を彼女たちの言動に活かしていい。
その体は死んでいるが、その心はキミと同じように生きているのだから。
彼女たちは笑い、泣き、怒ることができる。
少しだけなら、生きていた頃も覚えている。
記憶のカケラが与えてくれるのは、幸福な過去ばかりではない。
目の前に現れるこの世界の現実は、絶望ばかりを伝えてくる。
与えられた材料から想像される未来は、どこまでも暗い。
朽ちない体は、心を朽ちさせ、狂気で苛む。
共に目覚めたドールだけが心を癒してくれるだろう。
目覚めたことは終わった世界の彼女らにとって、悲劇だろうが。
それでも、狂気と絶望に振り回され、踊る彼女らは、何より美しい。
ドールは、ただの少女の死体ではない。
武装された少女。
変異された少女。
改造された少女。
彼女らは、平和に語らいふざけあうだけの少女ではないのだ。
物騒に、醜悪に、冷酷に、破壊する力を与えられている。
白刃を閃かせ、銃声を轟かせ、鉤爪を振り上げて、踊ることもできる。
相手はネクロマンサーの雑兵に追従者。
壊し壊され、縫い合わせて元通り。
地獄の舞台。
けれど、奴らの望み通りに踊る必要はない。
かき混ぜ、目論見を壊してやればいい。
終わった世界に少女は踊る。
たとえ、ネクロマンサーの目論見から始まったステップであろうと。
激しく舞う中、奴を引きずり出し。
その手を捕らえ、テラスから放り出せる日も来るだろう。
■死人使いの見る夢
キミがこのゲームを真に始めようというなら、キミこそがネクロマンサーだ。
ドールたちで大いに楽しみ、弄繰り回してやる権利がある。
苦労して造った人形を、ぐしゃりと潰して終わりでは意味がない。
壊しては治し、壊しては治し、丹念にかわいがってやるべきだ。
キミは楽しまなければいけない。
これは義務だ。
ドールに希望をちらつかせ、足掻かせるのだ。
理不尽な絶望は最後でいい。
少しはキミ自身もリスクを負うといい。
それはゲームをより、スリリングにしてくれるだろう。
そうだ。
キミは、キミ自身の象徴たる存在。
ゲームの役割ではない、彼の世界の支配者としてのネクロマンサーとして。
ドールたちの前に姿を現してもいいのだ。
ネクロマンサーは、知性のカケラもない屑のような亡者をいくらでも繰り出せる。
時間にも材料にも不自由はしない。
ドールたちの遊び相手は存分に用意できるだろう。
屑どもは、ドールの魅力を引き出し、素晴らしい見せ場を提供することだろう。
キミが提供した武装が、変異が、改造が、どれほどに素晴らしいものか!
いかに美的な趣向に満ちているか、惚れ惚れさせてくれるに違いない。
それに、キミには追従者たちもいる。
キミを心から敬愛し、全てを捧げてくれる娘たちだ。
聞き分けのよすぎるところがつまらなく、飽き飽きしてもいるが。
ドールたちと触れ合えば、彼女らもまた面白いものを見せてくれるだろう。
キミの手の中には、彼女たちの記憶がある。
それは、彼女らが本当の自分に至るため、なくてはならないものだ。
光に誘われる蟲のようにドールはやがて、キミの元に来る。
愛しい娘たち、人形たちをどう迎えるか、じっくりと考えておくといい。
『永い後日談のネクロニカ』には6つの舞台と台本を用意している。
キミはまずこれを試してもいいし、また己の舞台の参考にしてもいい。
急ごしらえの舞台でもドールは踊れるかもしれないが、まずは手本が必要だ。
念入りに導き、そして眺めるといい。
さあ、キミの舞台の幕開けを!
終わった世界で、終わる物語を!
人形ならざる人形の舞を!